過去との決別

 

たぶん前の恋人のものを捨てるときも似たような気持ちなのだろうな、と漠然と思った。よく知らないけれど。

 

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前の記事で書いた、タイ俳優のカレンダーとぬいぐるみが届いた。昨日。頼んでからちょうど一週間ほど。早い。まさしく「金で時間と安全を買っている」のだと実感する。

元より自分の机に卓上カレンダーを設置するようなスペースがないことはわかっていたが、それでもなんとか場所を確保することは難しくないだろう、と思っていた。どうも、これが誤算だったというか、そもそも日本の常識を当てはめることが間違いだったというべきなのか。

ざっくり言ってしまえば、この卓上カレンダーは「卓上」という名にそぐわぬB5サイズだった。いや、ノートかよ。というか普通に写真集みたいなサイズじゃん。そのぶん推しが大きいサイズで眺められるのはありがたいけど!!そもそも買う前にサイズの説明とか読まなかった私も悪いけど!!でもだって、どうせタイ語だし!!どうせ買うし!!!!!!

しかもこのカレンダー、推しの写真とカレンダーを同時に確認することができない。裏表。いや、どうせ写真が目当てとはいっても、カレンダーなのだから。控えめでもなんでも、日付が添えてあるのが一般的ではなかろうか。否、「一般的」という言葉を用いることがあまり好ましくはないので、「私のこれまでの経験上、よく見たことのあるもの」と言い換えるが。なんにせよ、推しを見ながら日付や予定を確認できる、そういうカレンダーを想像していたものだから、驚きを通り越して爆笑してしまった。

 

まあ、推しか日付かと言われたら推しを優先するけど。

 

せっかく最高の撮り下ろし写真ばかりなので、どうにか飾る場所を作りたい。どうにか場所を作り出そうと思って少し整理していたら、だんだん他のものも気になってくる。

たとえば、この棚の奥底に眠る、かつてのジャンルのグッズは捨てても良いんじゃないか?と考える。フリマアプリに出品するのも面倒だし、そもそも保存状態も良くない。過去の出費に後悔はしないタイプなので、これらのグッズにかけたお金を思って悲しい気持ちになるということもない。なんとなく捨てる決心がつかないままずるずる保管しているだけで、これから先使う予定もなければ、捨てて困るようなこともないだろう。

かつて痛バを作っていた頃のようなグッズ収集欲はだいぶ収まってきた、とはいえ、既にタイの通販を複数回使っているオタクの自己申告は何の説得力もないだろう。推しのグッズとは当然、捨てなければ増え続けるものだ。いつかどこかで諦めなければキリがない。

数年前の引っ越しの時もだいぶ断捨離をしたつもりだったが、その時も踏み切れなかった。「私は捨てる派だからなー、捨てちゃいなよ」どこか無責任な母の言葉が、しかし確かな鋭さをもって私に突き刺さる。

――そうか。たぶん、今がその「いつか」なのだ。

こうして私は、タイ俳優のカレンダーが届いたことをきっかけに、これまで自分が集めてきたかつての推しのグッズと別れることを決意した。

 

一度決めてしまえば話は早い。今日、さっそく断捨離した。終わるまで結局三時間半くらいかかった。 自分の収集なんて大したことないだろうと思っていたが、奥底に眠っていたグッズを全てひっくりかえしたら、まあそれなりの量に思えた。グッズを買うほどハマったジャンルはそう多くないが、それでも「ああそういえば買ったな」とどこか懐かしくなるものも多く、何度も手に取って躊躇してしまった。(しなかったのもあるけど。)

とりあえず必要か否かを判断してその辺にぽいぽい投げていたら、部屋がとんでもないことになった。全て仕分け終える頃には、「これを分別するのか……」とげっそりした。正直全てをなげうって寝たかった。でも分別しました、しましたよ。むしろこの「面倒くささ」のおかげで、最後は何のためらいもなくゴミ箱に流し込むことができたと思う。

 

ばいばい、かつての推したち。私はこれから、タイに行くよ。某感染症等含め、いろいろ平和になってから、だけど。